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ボクが取り組んできた論理とは。
公開日:2024年7月6日更新日:2024月07月06日
カテゴリ:論理的な考え方
ボクには感覚で感じるということが備わっていなかった。
いわゆる、「感じられない」という状態であったと考えている。
その感覚で「感じられない状態」を、どうしたら感覚で「感じられる状態になる」のか?
そこを取り組まなければ、感覚で感じられるようにはならないのだと思った。
しかし、当然ながらその「どうしたら?」が判るはずもない。
でもボクの性格が役に立ったのだと思っている。
それは理屈っぽい傾向にあったからである。
感覚で感じられない状態を、感覚で感じられる状態にすることを、まずは理屈を持ち出して考えてみたことだった。
そしてこれは、「気づき」でもあるかもしれないのだが、解らないことに対する「繋がりを見つけること」に取り組んだのだった。
ほとんどの物事には、言葉に対しての「対義語」のような反対の意味を持ち合わせていたりする。
それを持ち出すのだ。
そういうことが、繋がりである。
対義語以外の他にも繋がりがある。
そういった、理解できない状態の何かしらの「繋がりを見出すこと」が理解するための出発点となる。
それが、見つかりさえすれば、事態は好転してゆけることになるのだ。
ボクにとってはそれが論理的な取り組みであったのだと思っている。