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言葉と感覚の表現は一致しなければならない。
公開日:2021年2月11日更新日:2021月09月03日
カテゴリ:テイスティング
コーヒーをカッピングしていると徐々に理解できていくのですが、焙煎での熱量の与え方と焙煎庫内を流れる排気の捉え方の基準があり、それが「重たさ」だったりする。
焙煎の熱量の変化による「重たさ」と、焙煎庫内を流れる排気の変化による「重たさ」がある。
言葉で説明すると同じ「重たさ」ですが、感じる「重たさ」は別物となる。
そして、重たいの反対にあるものが、明るさだったり、それを通り越してしまうと平坦とか、スカスカだとかいう表現になるのかな。
なので、良質な表現というものは、ちょうど良いというバランスの上に存在しているのだと感じる。
そのバランスは、焙煎の熱量の変化による「バランス」と、焙煎庫内を流れる排気の変化による「バランス」など、幾重の設定とのバランスであるのだと考えている。
なので、究極のコーヒーのバランスとは、幾重とある設定の一つ一つのバランスを見れることと、それらのバランスを調整できる能力でもあるのだと考えられる。
とにかく、良質さを表現するためには、いろんな理解が必要となる。
それらは感覚によって判断されるため、結局のところ感覚で感じることが前提となり、そして感覚により作り出されるものであると考えられる。
そして、感覚は「言葉」に集約されているため、言葉と感覚は同じものでなければならない。
そこが難しいのです。