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学ぶということ。
公開日:2023年9月21日更新日:2023月09月21日
カテゴリ:感覚のはなし
モノを創り出すためには、イメージが大切であると考えている。
そして、創り出したいものが良質なモノであれば、より美しさを求めるイメージが大切であると考えている。
なので、美味しいものを作るよりも、美しいものを作ることの方が遥かに難しさがある。
その意味は、美しさを理解して初めて美しいモノを作ることが出来るようになるからである。
美味しいものはこだわれば作ることが出来るが、美しいものはこだわっても創り出すことはできないからだ。
だからこそ、作り手は美しさの共通点を感じるために学び、そして感じられるようになるために努める必要性がある。
今までの学びと経験から、
美しさは、形であり、色であり、状態でもあると思っている。
それは、味覚であり、香りであり、触覚であり、音であり、視覚から感じられるものである。
要は五感で感じられる、形であり、色であり、状態でもある。
それらの共通点を理解している人に、それらの箇所がどこであるのかを学ぶ必要がある。
コーヒーの評価の世界では「酸味の質」を理解することが近道であると先日書いた。
良い酸味はフレッシュなフルーツ感の中にある酸味であり、劣る酸味は一般的に熟度が進んだフルーツ感の中にある酸味である。
多くの学んでいない人たちは、美しさを見ていないので、甘さの中に美味しさがあるのだと思っているが、良質さは酸味を見ていればそこに美しさが潜んでいることに気づけるようになる。
だから良質なコーヒーは酸味に理由があると言うのだ。
形のどこを見ているのか?
色のどこを見ているのか?
状態のどこを見ているのか?
その目線が、美しさを捉えるためには必要なことなのだ。
そして、それを五感のどの感覚で感じているのかでもある。
それらは、実際に感じている人と同じ時間を過ごし、そしてその目線を育むことで感じられるようになるものであると考えている。
それを学ぶと言うことなのだと解釈をしている。
学ぶとは、知識を覚えることだけではない。
知識を感覚として感じられることが学ぶことなのだとボクは思っている。
そして美しさを感じられるようになったのなら、あとはそれを表現をするだけのこと。
それが、創ると言うこと。
なので、まずは美しさを感じられるようにならなくては、美しいものを創ることは出来ないのだ。