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知識と感覚の両者からの学びが大切。
公開日:2021年8月7日更新日:2021月08月07日
カテゴリ:感覚のはなし
世の中のことは、知識として頭で理解をしていても感覚として理解できていないことが多い。
そして、感覚で理解するために知識があると言ってもいいのだろうと最近では思うくらいだ。
今年に入り、香りの専門書から学んだことがあった。
植物の香りの多くは「水に溶けない香りの成分」で、その水に溶けない香りの成分の多くは「油には溶ける香りの成分」であると言うこと。
なので、植物から精油を取り出して、それを利用している。
なので、コーヒーの油脂成分の中に多くの香りの成分が溶けているということが理解できる。
ここまでは、知識としての学び。
そして、ここ数週間での気づきでは、コーヒーの液体の中のフレーバーには、油脂成分から登場するフレーバー(香りの成分)とお湯に溶け出した香りの成分由来のフレーバーは、感覚として由来が異なると言うこと。
これらが理解できると、ペーパーフィルターで油脂成分の登場を遮ってしまうと、油脂成分由来のフレーバーは遮られて登場しなくなってしまうと言うこと。
その油脂成分由来のフレーバーが良質なモノであったとしたならば、良質な油脂成分は抽出した方がいいし、その油脂成分が劣るフレーバーであるのなら遮った方が美味しくなると言うこと。
それらの判断は、やはり感覚で行うしか方法は無いのです。
知識として理解した情報も、感覚として理解するには難しさがあります。
しかし、知識として理解していなかったとしたなら、それを感覚として理解することは、とてつもなく難しいので、まずは知識優先で学び、そして感覚で照らし合わせて自分のものにしていくことが、お互いの理解の隔たりの幅を低くしていくことなのだと考えています。
そして、感じている人と感じていない人との隔たりは、表現のいろんなところに登場するものです。
ですので、きちんと感じている人から学ぶことが求められるのだと思っています。
今回の気づきも「感じている人」の表現から気づいたのですから。