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共鳴し響くものを感じられるようになるために。
公開日:2023年6月16日更新日:2023月06月16日
カテゴリ:感覚のはなし
数多ある絵画の中から、心に留まるものが稀にある。
それは、本人が気づいてないのだが、それはその絵画が自分の中にある何かと共鳴し響いているからである。
ボクはモノづくりの人間なので、その共鳴して響いている「何か」と、その「技法」を見つけたいのだと思っている。
ただし、共鳴し合うのには見る側のスキルも重要視されることにも気づいている。
見る側のスキルがまだまだ作り手の目線に及ばなかった場合には、共鳴しあえるはずもなく心に響かないことも経験から知っている。
だから、人は学ぶのだ。
そして、自分自身の成長を感じるためにも美術館へと向かうことには意味があると思っている。
何も感じ取れないのは、スキルがまだまだ育っていないことを意味している。
ワインソムリエの田崎さんの著書の中で書かれていた言葉なのだが、「嗅覚が成長をすると、他の五感も一緒に向上する」と言う一文があった。
ボク自身も、まったくと言っていいくらい凡人の、いや凡人以下かもしれない嗅覚しか持ち合わせていなかったので、その文章を読んだ時、「そんなことあるのか?」と疑っていた。
しかし実際に自分の嗅覚のレベルが向上してくると、他の五感も一緒に向上していることに気づくのだ。
それが、優れた絵画には持っている「心象風景」と呼ばれる、心で感じられる、心にまで届く優れた作品を感じられるようになるのだ。
たぶん、ボクの分析では香りの情報を脳にインプットする際の「香りの情報のマッピング(地図の配置)」が何かしら影響を及ぼしているのだと思っている。
これは化学的な根拠などまったくないことだし、「香りの地図」と聞いてもほとんどの人たちには必要とされない情報だし、そんなことをして感覚が向上するなんて信じてもらえるはずもない。
香りの情報をマッピングする際に必要となる、脳裏で感じられる香りの色の情報や広がりの情報が、重要な役割を担っているのではないか?と考えている。
それは共感覚とも呼ばれる感覚で、脳裏で感じられる情報だ。
それは、目で見ているようで脳で見ている。
耳で聞いているようで脳で見ている。
口で感じているようで脳で見ている。
という感覚なのだ。
それを「心で見る」と言う人もいるかもしれない。
それが出来るようになれば、いろんなものから共鳴し感動できるようになるのだと思っている。
ただし、共鳴し合えるものは、ほんのごく一分の優れたものだけである。
だから感動をする。
そういうものが、素晴らしいと言えるもので、なかなか出会えるものではない。
それは、絵画であったり、音楽であったり、自然の中の景色であったり、食べ物であったり、すべてのものの中に混在している。
それを見つけるのも感覚なのである。