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ミックスボイスは、混じり合っている。
公開日:2023年2月25日更新日:2023月02月25日
カテゴリ:感覚のはなし, 論理的な考え方
見よう見真似ではあるのですが、通勤の車中でもう4〜5年前から毎日歌を歌うのが日課になっている。
すると、ミックスボイスってこういうことなのかと次第に使えるようになってきた。
その技術が使えるようになった背景にある基礎は、webサイトに載っていたリップロールと呼ばれる練習方によるものから。
しかし無料のサイトの練習方なので、その練習の何が大切であるのかはもちろん載ってはいない。
その技術が少しずつ分かってくると不思議だけれど、ボイストレーナーの中でも歌声は「地声とミックスボイスとファルセットの3つ」と述べる人と、「地声とファルセットの2つ」と述べる人がいることに不思議に思っていたが、ミックスボイスはファルセットと地声を混ぜ合わせているので、その混ぜ合わせ方で地声とファルセットのどちらかに入るのだと思えるようにもなってきた。
なので捉え方によって、どちらの説を尊重するのか?である。
ボクは論理的に考えることが好きなので、歌は人の体を使っている楽器だと考えれば、息の送り方がとても重要で、その息の送り方と音が鳴る声帯の使い方次第でいろんな表現が生まれているのだと考えられる。
なので、その息の送り方と声帯の使い方を瞬時に思うがままにコントロールできるように体を使えるようになることが、歌の表現につながっている。
それらを意識するためのリップロールの練習であるのだと。
そして、この歌の発声の考え方は、実はローストの考え方にとても影響を与える論理でもある。
声帯をダンパ装置と考え、息の使い方を風量だと考えてみることで、装置の使い方の理解が深まる。
このように論理と言う考え方は、いろんなものに当てはめて考えることができるので、より本質を極めたい場合には、興味のある他のモノゴトから学ぶことができる。
そして、その論理を実際に置き換えて反映させるためには、体の使い方(感覚を含めた)が必要不可欠になる。
コーヒーの場合では、出来上がったコーヒーからその論理の正当性を判断するモノサシがカッピング(テイスティング)と呼ばれる感覚(体の使い方)である。
なので、何かを上手くなりたいと考えた場合には、論理と感覚は両者を1つのセットと考えるべきものである。
どちらか片方が欠けても思うような表現には繋がらないからである。