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失敗は、本当に失敗であるのか?
公開日:2023年1月27日更新日:2023月01月27日
カテゴリ:焙煎の味づくりのこと。
ここ10年くらいは、失敗の中から「可能性を見い出す」という確認を行なっている。
いや、失敗の中からしか可能性は見いだせないとも考えるようにもなった。
失敗という定義は、完全に自分の思考の中には存在していない事象であると思っている。
それは、自分の中には存在していないことなので、理論や理屈、論理から導きだすことのできない事象なのである。
なので失敗は100%、自分では表現できない味づくりが偶然の産物として降りてきた問題集なのです。
失敗という問いの中から、
「オマエには、この問題が解けるかな?」
そう問われている声が、聞こえるかどうか。
そこに気づけるような感覚が育つと、失敗こそが宝であることが気づけるようになる。
ならば、わざと失敗をすればいいじゃないか?と思うかもしれない。
しかし、意図した失敗は頭に中にある意識なので、そこには意志が存在するため、本当の失敗ではない。
意図した失敗は、論理でたどり着ける範囲内なのだ。
なので失敗をした場合にこそチャンスが眠っていて、その失敗に気づけるような仕組みを準備できているかどうかがとても大切なことなのだと考えれるようになってきた。
なぜ?こんなことを書いているのか。
それは、先週意図しない失敗から、ローストの新たな手法を見い出すことができたから。
名付けるのなら、それは「冬のロースト」。
こんな混じり方があるんだぁ。
そう思わせるローストの設定だ。
寒い冬だからこそ美味しく感じる「とろみのような粘性の甘さ」と「フルーツの酸味」の融合。
たぶんこれは理屈や理論からでは到達ができない手法なのだと感じている。
理屈や理論のその先にある味づくりは、感覚の味づくりである。