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良質の表現の領域は、感覚が指し示すもの。
公開日:2023年1月19日更新日:2023月01月20日
カテゴリ:感覚のはなし, 良質さのお話。
昨年までに、ローストの成り立ちについて、かなりのところまでそのロジックが理解できたと思っている。
ただ思っているだけで、もしかしたらその根底を覆す論理が見つかるかもしれないが、今のところそのローストの成り立ちの部分が見えたと思っている。
ただし、見えただけのことで、良質なコーヒーを表現するためには、設定をひとつずつ感覚を用いて精査し、その設定たちの繋がりを確認しながらバランスを取っていかなければならないので、ローストの成り立ちを理解できたとしても表現することはまた別の話になってしまう。
でも、そのローストの成り立ちを理解できていることで、やはり整えるためのチカラがあるので、逃げずに修正することが可能になり、良質さを表現していくためには必要なプロセスなのだと思っている。
当店の味づくりにおいては、背景にきちんと酸味を表現するということ。
そして、ローストによる粘性や甘さなどの質感とフレーバーを背景に配置をした酸味と融合させることで、一つの立体的な味づくりを表現するということなんだと思っている。
背景に配置をする酸味は、味覚的な要素も、触覚的な要素も含めたフルーツの酸味を配置をすることを目標としている。
液体の粘性や質感、フレーバーに関しては、素材のポテンシャルと相談をしながら、より良質な豆と、そうでない豆とではローストによる熱量の与え方が異なってくるために、粘性や甘さ、質感などが変わるため、豆のポテンシャルの状態によりそれぞれローストは異なるため、表現される豆の個性の登場の仕方も変わることになる。
使用する豆のポテンシャルによって、その設定が必要になる豆と、その設定を省けるものがある。
それを意味するものがローストの成り立ちのロジックを感覚と共有し理解できているかどうかによる。
ここまでが、昨年までに理解できてきたこと。
そしてこれからの取り組みは、そのロジックを用いながら、感覚を併用しながら良質なバランスを取っていくこと。
ここからのステージは、感覚優先で取り組まなければならず、知識や理論で判断してはいけない領域のようにも思っている。
頭でっかちではなく、感覚が指し示すものが正解の道へと繋がっている。
ただしそこに行き着くまでには、論理(ロジック)と感覚の両方を持ち合わせていることが必要とされることなんだと思っている。
そのどちらかの理解が欠けていても、求める良質さは表現が出来ないからである。