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「飲みやすい」では、感動はしない。
公開日:2022年10月29日更新日:2022月10月29日
カテゴリ:テイスティング
昨日に書いたように、「技法とは、思い描く表現をするためにあるもの。」
なので、思い描くような表現が出来ない場合は、いま現在理解している技法の中には、存在していない未知なる技法を見つけなければならないということになる。
消費者によって求める美味しさは違う。
「良質なもの」と「飲みやすいもの」を同じクオリティであると捉える消費者も少なくはない。
そういう人たちにとっては、飲みやすいもので充分においしいのだから、それでよしとなる。
そこで、いわゆる「飲みやすい」ものを作りたいと考えたコーヒーショップの場合には、大雑把に言えば、表現は必要の無いものになる。
大雑把に言うのであれば、「飲みやすいもの」は比較的に簡単に作ることができるものなので、その技法の組み合わせ方は簡単であるのだと言える。
ただし、それでは満足できない消費者たちがいる。
そのような「飲みやすい」ものでは満足できない人たちにとっては、当店のように良質さを提供したいというお店を探すことになる。
ショップ側も、仕入れでの目利きを良くするために、テイスティングにより良質さという本質を学ばなければならないし、ローストによる表現を向上させるために新たな技法を発見するために取り組まなければならなくなる。
良質さを表現しようとするためには、絶えず「良質さ」と向き合わなければならなくなる。
だからこそ、「飲みやすい」と「良質さ」との違いは、感じられる人たちにとっては別物なのだという認識になる。
しかし、多くの一般消費者には「同じ」だと言う認識を持たれる人たちが多い。
「飲みやすい」では感動はしないが、「良質さ」は心まで届き感情が揺さぶられるものでもある。
この違いを感じられるようになると、素晴らしいものが理解できるようになってくるもの。
テイスティングとは本来、そういった違いを理解するために学ぶためにあるものだとボクは思っている。