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東山魁夷さんの日本画から焙煎を学ぶ。

公開日:2022年8月19日更新日:2022月08月19日
カテゴリ:感覚のはなし, 良質さのお話。

東山魁夷さんの日本画から焙煎を学ぶ。

夏休みをいただいて、天候が良くはなかったのですが、山に行ってきた。
そしてせっかく信州まで足を運んだので、時間があったなら美術館に寄ってこようと考えて、下調べもしていった。

下山してお風呂に入って、昼ごはんを食べて、まだ時間がありそうだったので、諏訪湖畔にある美術館に寄ることにした。
お目当ては「東山魁夷」さんの日本画。

理由は、うちの奥さんとの会話の中で、「東山魁夷さんの作品一緒に見たことあるけど覚えてる?」という言葉だった。
もう何年か前のことだと思うのだけれど、その時のボクの感覚では、東山魁夷さんを感覚が素通りしていた。
でも、今の感覚ならどうなのか?
それを感じてみたかったから。

そして、現代日本画コレクションの26品の中の2品が東山魁夷さんの作品だった。
部屋に入り、入り口から「どれだろう」と思いながら見ていたのですが、その存在感に気づいた。
「たぶん、アレだろう。」と。

その存在感は、「静」という音が感じられないほどの「無音」という静けさ。
そして、透きとおる冷たい空気感が、悲しさや寂しさを伝えている。
今は悲しさの底にいるけれど、ひそやかにわずかな希望を残してくれているところに心は救われる。

もう一つの作品も、やはり「静」。
こちらの「静」は、風の感じられない「無風」という感じ。
月の光が、その温もりを心にまで届けれくれている。
太陽の光を反射しているだけの月の光なのに、その光には温かみを感じさせてくれている。
やはり、透きとおる空気感が、月の光を純粋に届けてくれている。

今回は、しっかりと東山魁夷さんの絵の凄さを感覚で理解することができた。
以前のボクはまだそこまでの感覚が育っていなかったので、ただ単に目で見ているだけで、絵が訴えかけている「感情の存在」に感覚で気がつけないからこそ記憶にすら残らなかった。
でも今回はしっかりと感覚で感じることができたからこそ脳で絵に込められている「感情」を感じられることができたのだと思っている。
そして、今なら言えるのですが、そういう作品を描くことのできる人は、ほんと少ないことが理解できてきている。
だからこそ、巨匠なのだ。
今なら凄い作品は目に止まるようになった。
凄いと思う作品は、絵の枠には収まらないその風景の広がりを脳内で感じさせてくれる。
しかし上手な作品は、枠の中で収まり、枠の中で語っている。
そこにはとっても大きな隔たりがあることも理解できた。

ボクの場合は、コーヒーでそれを表現したいと考えているので、秋野不矩さんや東山魁夷さんのような凄い絵を見て、そしてそれがどのように描かれているのかを紐解くことで、コーヒーの焙煎の表現に繋げたいと考えている。
そして、日本画の巨匠の表現手法とコーヒーの焙煎の味づくりにおける論理の構築との相性は良いのだと思っている。

東山魁夷さんの日本画を感じて、改めて思ったことは、その「透明感」。
透きとおる空気感があるからこそ、静寂や温かみをきちんと届けてくれている。
やっぱり、そこがとっても大切だったんだと、しっかりと認識することができた。

そしてボクは、今までの焙煎士人生でローストにおける「透きとおる空気感」の設定ポイントは理解している。
時代の流れに翻弄されていると、本質は手の指の間からこぼれ落ちてしまう。
しっかりと、美しさの成り立ちを学ぶこと。
そこが大切なのだと実感をしている。
そうすれば、味づくりにおいてブレることはない。

人生を重ねてゆかなければ、見えてこない世界がある。
それを実感できる年になったのだとも思った。

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