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「安心」を得ることが平和なのだと思う。
公開日:2022年4月24日更新日:2022月04月24日
カテゴリ:ふと思ったこと。, 論理的な考え方
少し前から自由になるお金を使って少額なのだけれど投資を始めた。
株式は、時間で上がったり下がったりしているのですが、時には日に大きく下がったり上がったりする。
ボクは「何が理由で」上がったり下がったりするのかにも興味があったので、その理由を時間のある時にいろんなアナリストたちが語る文章の中から探っていた。
すると、何となくその理由が見えてきた。その要因は何かと言えば「安心」だと思った。
「安心」があることで株価は上がり、その逆の「不安」があることで株価は下がる。
株価は、人の心理が数字になっているだけのことなので、株価という数字は、人々の「安心」の材料のバロメーターなのだと思えるようになった。
なので、その「不安になる要素」と「安心を得る要素」を人の営みの中から感じ取れれば、資産運用が上手くできるようになるのだとも考えられる。
そして、この「安心」は、世の中の人間関係でも置き換えて考えることができる。
この度のロシアのウクライナ侵攻においても、その出発点は「不安」からきているのだとも解釈ができる。
不安が大きくなれば、株式どころか人を殺めてもしまう。
なので、平和という未来を思い描くのであれば、皆が「安心」の材料を真剣に考えていくことなのだと思う。
「不安」を減らし、「安心」を増やすこと。
そして「不安」と直面した時に、話し合い、行動して如何に「安心」を増やしていくのか。
それは、それぞれの立場での「安心」をきちんと理解をしていけば、争いまで発展する前に解決ができることなんじゃないかとも思える。
そこで大切なことは一方通行的な「安心」ではなく、双方もしくは三人称的な「安心」というものが求められる。
そこは知恵を絞って皆が得られることに繋がる「安心」を考え続けることなのだと思う。
それが平和なのだと。
投資の話がなんでか平和の話になってしまいましたが、モノゴトの論理はすべて繋がっているとボクはそう思っている。
なので、本当に良質な美味しさも「安心」がキーワードなのかもしれない。