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好きな人目線と、苦手な人目線。
公開日:2022年3月31日更新日:2022月03月31日
カテゴリ:良質さのお話。
風味を繊細なところまで感じ取れる人は、とても少ないのでマイノリティということになる。
繊細なところまで感じ取れる人は、物心ついた時からそこが感じ取れるために、それが当たり前という感覚になっている。
だけれども、その他多くの人たちは、そこを感じ取れないので、いくら主張しても伝わらない。
感じ取れていない人に対して、「そこがいいよね!」と語ったとしても、「そこ」が感じ取れていないのだから、何がいいのかさっぱり理解できないからだ。
だから、マイノリティを語ったとしても、認識はされるとは思うけれど、結局のところはマジョリティの人たちに理解されることはないのだと思っている。
なので、相反する存在であるようにも思う。
でも、想像力を働かせることで、感じ取れはしないけれど、その存在を知ることはできる。
話は変わるのですが、最近テレビなどで耳にする「若者のビール離れ」という言葉。
ボクは若者でもなく、元々は毎晩、晩酌をする人間だったけれど、お酒を飲むことをやめた。
別に健康を気にしてやめたわけではない。
では、なんでか?
それは、美味しく感じるビールが無くなってきたことが背景にある。
華やかさを売りにするビールばかりになり、そこに爽やかさが入る余地がない。
華やかさがあっても、余韻に爽やかさがあれば、多分ビールから離れることは無かったのだと思う。
爽やかさこそが、質の良さなのだと解釈をしているけれど、市場に登場してくるビールの全てが、華やかで余韻が重たい、そして甘さが強すぎて、もう一口飲みたいとも思わないので、ビールグラス1杯飲むことにも抵抗を覚えるようになってしまった。
なので、わざわざ高い酒税を払ってまで飲まなくてもいいか。という決断となってしまった。
ビールから離れているのは、若者だけではない。
市場に出回っているビールに苦手な要素が多すぎるから、そこを美味しいと感じないからだろう。
それらのことを考えると、ボクはお酒が好きだったわけではないことを理解する。
好きな人目線と、苦手な人目線がある。
良質さとは、苦手な人でも、受け入れられるもの。
それは、そこに美しさがあるから。
良いものを作れば、苦手な人でも、受け入れられるのに、どうして好きな人目線でモノづくりをするのだろうと、よく考える。
なので、当店のファンには、コーヒーが苦手な人が多いのだ。