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偏らないために。
公開日:2021年11月4日更新日:2021月11月04日
カテゴリ:感覚のはなし, 論理的な考え方
他所から見るとボクはとても偏って見られているのだろうなぁと思ったりする。
だけれど、当の本人は「できるだけ偏らないように。」と思って、いろいろと考えていたりする。
モノの見方というものは、偏った見方をしてしまうと、とことん偏って受け取れるものなんだと思っている。
だからこそ、偏らないように見れるようになることが品質を見る場合には求められるのだと考えているのです。
なので、良質なモノばかりを日常的に摂取していたとしても、本質が見えなくなるのではと思っています。
「普通とは何なのか?」という目線が大切なんだと常々思っています。
一般流通しているレベルをキチンと理解することで、そこから外れたモノの中に「非凡さ」は存在しています。
非凡さを理解するためには、一般的=普通を把握していなければならないということです。
すると、「ここに非凡さがある」が理解ができるようになる訳です。
ボクは、非凡さの示す「普通のものには無いもの」こそが、良質さであると考えていますので、一般的なモノのレベルを各評価項目に当てはめて理解をすることで、各評価項目それぞれの「非凡さ」が見えるようになってくるという論理をもとに取り組んでいます。
ですので、当店がおこなっているビオあつみエピスリー浜松店で毎月開催をしている「フレーバーの景色を見るための講座」でも、コーヒーよりも先に「フルーツ」を食べて、フルーツ感を理解するという内容になっています。
それは、良質なスペシャルティコーヒーには、フルーツ感が存在するからこそ、フルーツ感をしっかりと理解しなくてはならないからです。
このように、当店の場合は「論理」が大切なのだと考えています。
ただし、誤った論理の場合には、誤った道を歩んでいくことになってしまうので、その論理が本当に正しい道であるのか?を常に検証しなくてはいけないことも重要なのだと考えています。
そして、その検証には感覚を使って判断をする。
そのためには、感覚を磨き育てることが重要なのだと考えられます。