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秋野不矩美術館で、建築家の想いに触れる。
公開日:2020年8月19日更新日:2022月04月20日
カテゴリ:焙煎の味づくりのこと。
違和感とは「普通とはちがう」という感覚でしょうか。
その「違和感」を持つことが大切なように思っています。
昨日も暑かったので、人混みを避けながら涼める場所に出向こうと、天竜にある「秋野不矩美術館」に出向きました。
平日ということもあり、天竜区ということもあり、車が数台止まっている混み具合でした。
こちらの美術館の存在は以前より知ってはいましたが、近場ということもあってか、「いつでも行ける」という思考だと、なかなか出向けないものでした。
しかし、常連さまが行ってきて「よかった」と聞いたばかりだったので、じゃぁ行ってみようと思ったのです。
美術館の駐車場に入ると、数台の車が止まっているくらいの人混みでした。
そして、美術館は想像しているよりも「ジブリ感」が漂う感じで、天竜らしく木材を多用に使っていて、想像していたのと少し印象が異なりました。
入り口も木の扉になっていて、そこを入ると、美術館としては珍しく「スリッパに履き替える」ために靴を脱がなくてはなりませんでした。
ここで、まず「普通とはちがう」がインプットされます。
そして、その「普通とはちがう」は、ほとんどの場合、なにかしらの「意図」や「理由」が存在します。
それが「こだわり」から起因しているものもあれば、「想い」から起因しているものもあります。
この時点では、どちらかはわかりません。
そして、美術館は2階建になっていて、1階は履き替えた「スリッパ」も脱いで歩いていかなくてはなりません。
ここで、2回目の「普通とはちがう」がインプットされます。
展示室には、裸足(靴下)で歩いていくことで伝わる何かを考えて作られています。
展示室は、手前と奥と2つあり、それぞれ趣きが異なります。
奥の部屋に入った瞬間に、空間が広くなっており、床には大理石がある一定の間隔ですが、それぞれ個性を持つ異なる大きな大理石が何らかの法則のもとで敷かれています。
空調が整われた大理石は、外の酷暑を感じさせない冷たさがあり、足が冷えてきてしまうほどです。
ですが、うちの相方は裸足になると、「大理石の気持ちよさが伝わるよ」と言うので、靴下を脱いで素足になって歩いてみました。
そして、その部屋に居た監視員の方に、素朴な疑問を聞いてみたくなり小声で話かけました。
「冬でも、この大理石の部屋は素足だと冷たいのですか?」
と聞いてみると、
「冬には床暖房が入るのですが、ほんのりとだけ温かい感じです。」
と言うお返事をいただいた後に、
「この美術館は、建築家の藤森照信先生の設計で建築されているのですが、この美術館は基本「秋野不矩先生の作品を美しく鑑賞されることを考えて作られた」美術館になっています。」
「ですので、今度は秋野不矩先生の作品が多く展示している時に、また来てみてください。」
そう、おっしゃっておられました。
そうなのです。
基本、美術館は作品を展示しているだけでなく、その作品の意図を理解した上で、その作品が一番輝けるように作られているべきなのです。
それが、建築家としての「作り手の想い」なのだと言うことです。
そのためには、作家である秋野不矩作品の「なにが特徴なのか?」や「どこが素晴らしいのか?」を知らなくては、それを引き出すこともできないと言うことです。
モノを作るとは、そういうことなのだと教えられます。
「こだわり」から起因したものとは異なり、「想い」から起因したものには心に響くもの、心に伝わるものがあります。
残念ながら「こだわり」から起因しているものからは、心に響くものや、心に伝わるものがありませんので、そこが「こだわり」と「想い」の違いなのだと考えています。
その他にも、「普通とはちがう」を気づいたのですが、その意図や理由は今のところ宿題になっています。
次は、今回とは異なる季節に行ってみたいです。
そして、絵画から伝わるものは、ボクにはまだよく判らなかったので、これも宿題としておきたいと思っています。
ちなみに「普通とはちがう」は、たまにこのブログで登場する言葉です。
ここでは「非凡さ」と呼んでいます。